大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成5年(う)368号 判決

本店所在地

京都市南区吉祥院中河原里北町一番地

弥栄洲オート株式会社

代表者代表取締役

万永安男

本籍

京都市中京区西ノ京南円町三七番地

住居

京都市右京区御室芝橋町一一番地の一三

会社役員

万永安男

昭和五年三月四日生

右の者らに対する法人税法違反各被告事件について、平成四年一〇月三〇日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 岩橋廣明 出席

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人佐賀千恵美作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官岩橋廣明作成の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一事実誤認の主張(控訴趣意書第一及び第二)について

一  原判決は、財産増減法によって被告会社の所得を認定しているところ、原判決が認定した起訴各期の被告会社の所得額は、その後の期の被告会社の申告所得額との比較、起訴各期の同業者の従業員一人当たりの平均年間利益額との比較のいずれによっても高額にすぎ、原判決の認定額は、被告会社の所得の実額を超えている合理的な疑いがある、との主張について

1  本人比率による比較について(控訴趣意書第一の一ないし三、四の4の(ロ))

所論は、起訴各期の被告会社の申告所得額及び原判決の認定所得額、それぞれの年平均額とその後の五年間の被告会社の申告所得額の年平均額、さらには特殊事情のある昭和五三年九月期を除いた昭和五四年九月期から四年間の年平均額とを対比し、被告会社が起訴各期に計上した減価償却費がその後の期のそれよりも多いことや、起訴期当時の経済が不況下にあったことをも考えあわせれば、起訴各期の被告会社の所得は、その申告額こそが正当であり、原判決の認定額は著しく高額で、現実にはあり得ない金額である、と言うのである。

そこで検討すると、所論の対比によって原判決認定の当否を論ずるには、言うまでもなく昭和五三年九月期以後の所得の申告が正当なものであることがその前提であるが、その点については、申告に当たって税務当局から格別の指摘を受けることはなかったということ以上のものはなく、また、申告額についても、認定額についても、各期の金額のばらつきが相当大きいから、これについて短期間の平均を取って対比してみても、十分に有意的な推論が得られるとは考え難い。しかしながら、所論に鑑み一応の目安としてこの対比を試みると、〈1〉昭和五〇年九月期から昭和五二年九月期までの三年間について原判決の認定所得額の平均は、一八二九万三八〇七円、〈2〉同期間の被告会社の申告所得額の平均は、七八四万三一一六円、〈3〉昭和五三年九月期から昭和五七年九月期までの五年間の被告会社の申告所得額の平均(原判決一五丁)は、一五一五万二五五九円、〈4〉昭和五四年九月期から昭和五七年九月期までの四年間の被告会社の申告所得額の平均は、一三二三万一〇八二円であり、〈2〉の起訴各期の被告会社の平均申告額は、〈3〉の昭和五三年九月期以降五年間の平均申告額のおよそ半分(約〇・五二倍)、〈4〉の昭和五四年九月期以降四年間の平均申告額との比較でも六割に満たず(約〇・五九倍)、他方、〈1〉の原判決の認定額は、〈3〉の約一・二倍、〈4〉の一・三八倍となっている。起訴にかかる期の被告会社の申告所得は、平均額でその後の期の被告会社の申告所得額と対比しても、いかにも少なすぎる感を否めない。ところで、弁護人請求の昭和五〇年度から五二年度の経済白書抜刷写(弁五三ないし五五号証)によれば、いわゆる石油危機により昭和四九年の年初から始まった経済不況は、昭和五〇年一月ないし三月期に底入れしたあと、景気は回復に転じ、同年四月ないし六月期には急テンポで回復が進み、夏以後回復の勢いが弱まり、しばらく停滞が続いたが、昭和五一年に入って再び急ピッチで回復が進みはじめ、以後順調に回復の過程をたどったことが認められるところ、起訴各期の被告会社の申告所得額は、昭和五〇年九月期が一一九四万六四八六円、昭和五一年九月期が七一〇万一七七九円、昭和五二年九月期が四四八万一〇八三円であって、右の一般的な景気とは逆の推移を示し、未だ景気が完全には回復していなかったにしても、右の各期のうちでは最も回復していたはずの昭和五二年九月期の被告会社の申告所得額は、これに続く昭和五三年九月期の申告額の約二割に足らず、前記〈3〉との比較ではその三割に届かず、〈4〉との比較でも約三割四分に止まっているのであって、所論が主張する起訴期当時の一般的な経済情勢や昭和五三年三月に本件の査察が入ったことを契機として被告会社の会計処理を是正したこと等の影響を考慮しても、起訴各期の被告会社の申告所得額は、それ以後の期の申告額と対比して著しく少な過ぎるとした原判決(原判決一八丁裏)の判断は十分是認することができる。また、原判決の平均認定額は、その後の期の平均申告額と対比して約二割ないし三割八分程度多くなっているが、この比較自体に内在する前記の不確実要素をも考えれば、この程度の数値は、原判決の認定額に合理的な疑問を抱かせる事情とまでは言えないところである。なお所論は、起訴各期とその後の期の減価償却費の多寡にも論及しているが、特定の会計年度において、減価償却費計上の多寡が当該年度に計上される収益に直接反映することは当然のことであるが、年度間の収益、所得を比較する上において、他の科目を捨象して減価償却費だけを取り上げ、先行年度に計上した減価償却費の方が後年度のそれよりも多いから先行年度の方が所得が少ないはずであるとの論理が成り立たないことも明白であって、この点の所論も原判決の認定を非難する根拠になるものではない。

2  同業者比率による比較について(控訴趣意書第一の四の1ないし3、4の(イ))

所論は、原判決が被告会社の所得として認定した額は、中小企業庁編中小企業診断協会発行の「中小企業の経営指標」なる冊子(弁七九ないし八一号証)に掲載された自動車販売業(軽自動車、普通車)及び自動車整備業についての従業員一人当たりの年間売上高及び売上高対営業利益率を用いて計算した同業者標準所得と対比すると、昭和五〇年九月期は約四・九倍、昭和五一年九月期及び昭和五二年九月期はそれぞれ約四・二倍になっており、これは原判決の認定が明らかに過大であることを示している、と言うのである。

そこで検討すると、先ず、同業者といえども、その具体的な業態、事業所の立地条件、事業規模の違い等によって収益力が大きく異なることは公知の事実であり、同業者比率を用いて特定の事業者の所得を推計し、あるいはその所得の申告額や認定額の当否を検証するに当たっては、収益力を左右する右の諸条件が類似する同業者を抽出することが不可欠の大前提であるところ、所論が援用する数値は、このような諸条件をいっさい捨象した全国的な平均値であって、被告会社の所得計算の合理性を判断する基準となり得るものではない。このことは、所論の計算によっても、被告会社の申告額自体、昭和五〇年九月期のそれが所論同業者標準の約二・八倍、昭和五一年九月期が約一・七倍になることからも明らかである。そしてこの二・八倍とか一・七倍という数値が、所論の立場からも不自然なものであることを示すものであって、これは、基準とするに適当でないものを基準とした結果にほかならない。そうだとすれば、原判決の認定額が、所論計算による同業者標準との比較で約四・九倍ないし四・二倍(所論は昭和五二年九月期の自動車整備業関係について、計算の根拠となる「従業員一人当り年間総売上高」を「整備従業員一人当り年間売整備上高」と取り違えており、これを是正して所論同業者標準を算定し直すと同期の原判決認定額はその約三・七六倍)になるからといって、それが実額を超えている合理的な疑いの証左となるものとは言えない。

二  原判決は、把握漏れの預貯金の存在の可能性を認め、把握された預貯金の一部のみを被告会社の帰属としているが、期首、期末の財産の全額を把握せずに財産増減法で所得を計算するのは理論的に誤っており、一部認定であるからと言って、期首、期末の差額が実額より低くなるとはかぎらない、との主張について(控訴趣意書第二の一)

原判決が、把握漏れの預貯金等の存在の可能性を認め、かつ、把握された被告人万永(以下被告人という)及び被告会社の預貯金のうち、原判決が被告会社に帰属するものと認定した預貯金等以外の預貯金等を会社の資産から除外して所得を計算していることは所論のとおりである。

そして、原判決が、被告会社に帰属するものと認定した預貯金等以外の預貯金等について、「簿外資金が流入している疑いのあるものを含め、すべて会社資産から除外する」との表現を用いている(三九丁裏)ことから、一見、原判決が会社資産のうちの一部のみを認定して資産の増減を論じているかのように読めなくはない。

しかしながらこれをよく検討すると、被告人が存在を主張し、原判決が存在の可能性を認めた預貯金等は、被告人が被告人個人の資産として主張するものについてであり、また、原判決が会社資産から除外するとした預貯金等は全てもともと被告人が被告人個人の資産であると主張しているものであって、原判決がこれを会社資産から除外したということは、とりもなおさず、この点についての被告人の主張を結論において認めたことにほかならないのである。原判決の認定するところでは、原判決が被告会社に帰属すると認定した預貯金等以外には、被告会社に帰属する預貯金等は存在しないのであり、原判決の認定したところがまさに会社資産の実額である。そして所論の主張も、原判決が認定した以外にも被告会社に帰属する預貯金等があるというのではない。所論は、原判決の認定額とは別に、実際額なるものを想定して、認定額による計算と実際額なるものによる計算とを対比して原判決を批判しているが、所論がいうところの原判決の認定額を超える実際額なるものは、所論によれば、そもそも被告会社のものではなく被告人個人の資産であるはずであり、原判決もこれを是認したものにほかならないから、これをもって原判決を誤りとする所論は当たらないというべきである。

三  預貯金勘定について(控訴趣意書第二の二の1)

1  原判決が被告会社に帰属するとした仮名普通預金は被告人個人の預金である、との主張について

所論は、原判決は、鈴木一男、辻昭、松本芝光名義の普通預金は被告会社に帰属するとしているが、この口座には、被告人個人が被告会社の為に立替えた立替金についての被告会社から被告人個人に対する返金等被告人個人に属する金が入金されているのであって、被告人個人の資産である。昭和五〇年九月期に認定された鈴木一男名義の普通預金二五〇万九四二五円中、昭和五〇年九月一一日入金の一三六万七〇〇〇円は、被告会社から被告人個人に支払われた家賃等であって、これが被告人個人の資産であることは明らかであり(控訴趣意書添付木村意見書(以下木村意見書という)4の(1)のロ)、また原判決は、昭和五〇年九月期に小島明名義の普通預金が原資となっているとして無記名債券(ワリチョー)五〇〇万一四八〇円を被告会社のものと認定しているが、小島明名義の普通預金は被告人個人の預金であり、したがって、このワリチョーも被告人個人の資産である(同意見書4の(1)のイ)というのである。

そこで検討すると、原判決(四〇丁、五四丁)が、昭和五〇年九月期に鈴木一男名義の普通預金二五〇万九四二五円、昭和五一年九月期に辻昭名義の普通預金三〇二万七一八七円、昭和五二年九月期に松本芝光名義の普通預金四三七万一九一三円を被告会社の資産として認定計上していること及び昭和五〇年九月期に、小島明名義の普通預金が原資となっていることを理由に、無記名債券(ワリチョー)五〇〇万一四八〇円を被告会社の資産と認定計上していることは所論のとおりである。被告人は、捜査段階では、右の仮名預金口座には、被告会社の不正資金を入金していた旨供述していたが、原審公判廷でこれを否認し、以来これらの仮名預金口座は、被告人個人の被告会社に対する立替金を清算し、これを被告会社から被告人に支払う手段として開設したものであって、その預金は被告人個人に帰属するものであると主張しているのである。しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人の立替金の主張は到底信用し難いものであり、右の仮名預金口座は、被告会社の簿外資金を入金するために開設され、現実にも、売上の一部除外、仕入の過大計上等の方法によって得られた被告会社の簿外資金が主として入金されており、基本的に被告会社に帰属する預金であると認めるに足り、この点について原判決(四一丁以下)が詳細に説示するところは大筋において是認できる(なお、この点については、後記四の1、2でさらに敷桁する)。小島明名義の普通預金口座が被告会社に帰属するゆえんについて、原判決は明示的に説示していないが、関係証拠によれば、鈴木一男名義等の仮名預金についての説示が、小島明名義の預金口座についてもそのまま当てはまり、これを被告会社の資産と認めるに十分であるから、これを原資とする前記無記名債券も被告会社に帰属するとした原判決の判断も正当である。

所論は、右鈴木一男名義の普通預金のうち、昭和五〇年九月一一日に入金された一三六万七〇〇〇円は、被告会社から被告人個人に支払われた家賃等であると主張していることころ、被告人の当審公判廷における供述を参酌して、押収してある当庁平成五年押第一一四号の符号七のメモ一綴りの記載、昭和五三年九月一日付査察官調査書(検三一号)等を検討すると、右一三六万七〇〇〇円のうち一一〇万円は被告人個人が被告会社に賃貸している建物の賃貸料として被告人個人に支払われるべきもの、五万九五〇〇円は被告人個人が被告会社の従業員から受け取るべき家賃に相当するものであることなどの事実がうかがわれるが、期中において、被告会社の預金口座に最終的に被告人個人に支払われるべき資金が一部入金されているからといって右口座そのものが被告人個人のものということにはならず、右口座の開設の経緯、入金の一般的な状況等に照せば、これが被告会社に帰属するとの前記認定を左右するものではない。

なお、昭和五二年九月期の木村誠治郎名義名義及び辻昭名義の普通預金については、同期末に残高がなく、預貯金科目に計上されていないから、期中に被告人個人が取得すべきものが混在していたとしても、それ自体は同期の所得に影響を及ぼさない。もっとも、原判決は、同期において、右両名義の普通預金が原資となっていることを理由に無記名債券(ワリコー)を被告会社の帰属と認定している(五七丁、五八丁)ところ、原判決は、木村誠治郎名義の普通預金が被告会社に帰属するものであることについて具体的に説示していないが、前記小島明名義と同様に、これも会社の資産と見ることができ、辻昭名義の普通預金が被告会社に帰属するものであることは既に述べたとおりであり、所論の立替金の主張が信用し難いものであることも前記のとおりであるから、右無記名債券の関係についても原判決の認定に誤りはない。

2  原判決(四五丁裏)の太田功との取引に関する判断に対する反論について(木村意見書3)

所論は、太田からの仕入と太田への売上とは別個の取引であり、太田から仕入れる際、太田の希望する車両が手に入らなかったので、とりあえず被告人個人が仕入代金三二万円を立替えて太田に支払って太田の車両を仕入れ、後日代りの車を三七万円で太田に販売したのであって、太田からの仕入代金が被告人個人の口座に振込まれているのは、右立替金清算の方便に過ぎない、というのである。

そこで関係証拠を検討すると、被告会社の在庫売上仕入帳(検八四号)等の公表帳簿によれば、昭和五二年三月二八日太田からトヨタ車を三二万円で仕入れ、同年六月三日ニッサン車を太田に三七万円で販売し、仕入代金の決済は同年七月一九日になされたことになっているところ、その時点では太田に対する売掛残が二七万円あり、売掛残があるのに、これと相殺せずに仕入代金を支払うという不自然さも、右の七月一九日の決済は太田との間の実際の決済ではなく、立替金清算の方便としての記帳に過ぎないということで一応辻褄は合うことになるのであるが、他方、車両の登録元簿(検二四五号)によれば、太田に販売された車両については、同年三月二九日に太田に名義が変更されており、また、万永英光作成の商談覚書(検一八九号)には、太田との右取引について「車両代金五八万円、下取車二〇万円、NET三七万円」等の記載があることや、被告会社において売上を帳簿に計上するのは、実際の売上よりも二、三か月遅れるのが常態であったこと(原審第一七回公判における証人若林千秋の供述及び被告人の検察官に対する昭和五三年一〇月三一日付供述調書(検一〇六号)参照)などを考え合せれば、所論に沿う被告人の弁解は信用できず、太田に対する売上は遅れておらず仕入とほぼ同時期で、仕入車はいわゆる下取車であったと推認するに十分である。したがって、この取引に関する被告会社の経理処理について立替払いの所論を採用しなかった原判決の判断に誤りはない。

四  支払手形勘定について(控訴趣意書第二の二の2)

1  昭和四九年九月期末に計上された坂口惣一ほか三名宛の支払手形四通合計三三八万円を原判決(六三丁)は否認したが、これは期中に発生した修繕費債務を被告人個人が被告会社に代って債権者に立替払いしていたところ、期末までに被告会社と被告人個人との間の清算がすんでいなかったので、その清算の方便として、支払手形を計上したものであるから、支払手形を架空であるとして否認するなら、別に立替金勘定で調整されるべきである、との主張について(木村意見書5の(1))

関係証拠によれば、右の支払手形は実際には発行されておらず、これに見合う金額が昭和五〇年二月一九日に前記小島明名義の普通預金に入金されており、この手形が架空であることは所論も争わず、証拠上も明らかである。また関係証拠によれば、昭和四九年九月期の期中に右手形金額に見合う修繕費債務が発生した事実も認められるところ、所論は、この修繕費債務を被告人個人が立替えて支払っていたというのである。そして、被告人は、原判決が指摘している被告会社の不正経理の大部分について、同様の立替え主張とからめて弁解しているのであるが、そのような主張は、査察、捜査の段階では全くしておらず、原審公判の途中から主張し始めたものであり、かつ、立替金清算の為に架空の支払手形を計上しなければならないとか、あるいは、その方が便宜であると考えられる事情はなんら見当たらないことを考えれば、被告人の右弁解は到底信用できない。

また、所論は、この修繕費の決済時期について、原判決が、昭和四九年九月期末までに支払われ、決済が完了していると認定したのは、証拠に基づかずに被告人に不利益な事実を推認したもので許されないというが、それが対債権者との関係では、昭和四九年九月期の期末までに支払い済みであったことは所論も争わず、被告人の原審公判廷における供述によっても明らかであるから、所論の右非難は当たらない。

2  原判決(六五丁以下)が、昭和五〇年九月期の〈1〉沢田隆宛等一一通合計二六七万五〇〇〇円及び〈2〉足立勝宛等一〇通合計二一七万円、昭和五一年九月期の〈3〉木村堅治宛等六通合計二〇五万円、昭和五二年九月期の〈4〉京宝商事宛等二七通合計四三六万四二二〇円の支払手形を否認したことに関する主張について(同意見書5の(2)(3)(4)、7)

この点に関する所論は、その趣旨はなはだ不明確であるが、被告人作成の陳述書等を参酌すれば、これらの手形は、架空仕入、売上圧縮等の不正経理によるものではなく、これらの手形が、受取人の手に渡っていないのは、各仕入先に対する仕入代金の支払あるいは顧客からの預り金を被告人個人が立替えて支払っていたもの等について、被告会社と被告人個人との間の清算の方便として支払手形を発行し、あるいは支払手形を計上したにすぎないから、支払手形を否認するなら、別の科目で調整されるべきである、という趣旨と解される。

そこで関係証拠を調査して検討すると、右の手形はいずれも受取人の手に渡っておらず、〈1〉の手形一一通は、被告人の依頼により沢田隆ほか各受取人名義の別段預金を通して取立てられて現金が被告人に渡っており、〈2〉の手形一〇通は、公表上はその手形の引き落としがあったように仮装しているが、実際にはその引き落としはなく、手形金額と同額が公表に計上されていない小切手に被告会社の裏書をして現金化されていること、また、〈3〉については帳簿上支払手形を計上しているが、手形の振出がなく、翌期に同額が小切手によって引き落とされており、〈4〉は帳簿上は期中に三回に分けて預り金の一部を支払手形で返金したかのように処理しているが、実際には手形は発行されないまま、それに見合う金額が小切手で現金化されて被告人の手持ち金になったことが認められ、この外形的な処理については原審以来被告人も争わないところである。

そうだとすれば、原判決がこれらの支払手形を否認し、それに基づいて各期の勘定を修正したのは当然である。なお、所論は、〈1〉のうちの沢田隆宛分、〈2〉のうちの足立勝宛分、〈3〉のうちの木村堅治宛分の支払手形について、これらが架空仕入ではない旨をるる主張しているが、原判決は架空仕入であるとしてこれらの支払手形を否認しているのではないから、所論は的外れの議論というほかない。

そして、所論の立替金清算の主張が到底信用できないことは前述のとおりである。その主張が単に公判段階になって初めてなされたというだけではなく、所論や原審公判以後の被告人の弁解によれば、被告人は、個人でおびただしい回数、金額の立替えを被告会社のためにしていたことになるにもかかわらず、査察官の被告人に対する質問てん末書(検一〇一号)によれば、被告人は、査察官から、「仕入代金が手形で決済したようになっているにもかかわらず、実際には手形が交付されていない事実があるが、この点について説明されたい」との具体的な質問に対し、「そのようなおかしいことはあろう筈もなく、又若林からも何の報告も受けておりません」と答えており、捜査段階では、立替え主張をうかがわせるようなことには全く言及していなかったのであって、このことからみても立替金清算の主張は到底信用できない。また、被告人の原審公判廷における供述によって判断すると、所論の立替金主張も、対顧客との関係では期中に決済済みであることが前提であると考えられるところ、前記〈1〉ないし〈3〉に関係する各取引が、いわゆる下取であれ、売上とセツトになっていない独立の仕入であれ、車両が被告会社に引き取られた時点で代金の決済がなされ、期末までに完了していたものと認められることは原判決が認定するとおりであるから、立替金主張が容れられない以上、否認した支払手形相当分を他の科目で調整すべき理由はないとした原判決の判断も正当である。

また被告人が、預り金を返金したように装って裏資金を作っていたことは、査察の当初においてすでに被告人が認め、その後の査察官及び検察官の取調べに対しても繰り返し認めていたことであり、原審における証人若林千秋の証言をも併せれば、〈4〉は、売上を圧縮し、預り金との差額を顧客に返金したように装うために架空の支払手形を計上したものと認定するに十分である。

所論は、〈4〉のうちの京宝商事宛分の支払手形計上について、被告会社の公表の預り金元帳の記載を根拠に、被告人個人が被告会社に代って京宝商事に立替え返済した預り金についての被告会社と被告人個人との間の清算の方便であるというのであるが(木村意見書5の(4)のイ、ロ)、その内容は、京宝商事に二台の車両を販売し、一台について二五万円、他の一台について一〇万円の売掛残があったところ、一年以上たって、右の売掛残二五万円の車両に関して二回に分けて各一〇万円づつ、売掛残一〇万円の車両に関して一万九九〇〇円の預り金が発生し、合計二一万九九〇〇円の預り金債務を負担していたところ、さらに数か月後に、同商事に対する修理売掛金一二万六八五〇円が発生したので、これを相殺勘定した預り金残額九万三〇五〇円を被告人が同商事に立替え返金した、というまことに理解し難い主張であって、これに沿う被告人の弁解は到底信用できない。また、所論は、鍛冶友見宛分の支払手形計上について、同人から車両修理代の手付金として五〇万円の手形を受け取って預り金勘定に計上したが、この手形に不安があったので、信用ある手形との交換を求めてこの手形を返却したが、その際、貸方を受取手形とすべきところを、支払手形としてしまった記帳ミスに過ぎないから、支払手形を否認するなら、預り金債務を復活認容すべきである、というのであるが(同意見書5の(4)のハ)、所論は一方において、鍛冶からの受取手形は後日取立て、被告会社の普通預金に入金したというのであるから、受取手形は実際には返却されなかったか、交換によって新たな手形を受入れたかのいずれかのはずであるところ、代りの受取手形についての記帳はないから、支払手形を否認したことによって再度預り金債務を起こすべき理由はない。

また、被告人は、当審公判廷において、〈4〉のうちの松本晴夫宛分二六万九〇〇〇円は車両に設備して売り上げたエアコン代であるとして原判決が同額の支払手形を否認したのは不当であると主張するかのような供述をしているところ、なるほど松本晴夫作成の回答書等によれば、右金額は松本に対する売上中のエアコン代相当額であることが認められるが、売上が何故支払手形に結び付くのか理解し難く、関係証拠によれば、エアコンを設備した車両を売り上げながら、公表売上には車両本体価格のみを計上し、浮いたエアコン代相当額を預り金勘定に入れ、これを支払手形で清算した形をとったことが推認され、被告人の右供述は、むしろ原判決の認定に沿うものである。

五  現金の帰属、黒かばんの現金は、被告人個人のものである、との主張について(控訴趣意書第二の二の3)

被告人が、営業活動に必要な資金として、所論の黒かばん内に常時五〇〇万円程度の現金を入れていたことは、査察官の被告人に対する質問てん末書、大蔵事務官作成の(現金預金有価証券等現在高)確認書等によって認められるところである。所論は、これが被告人個人のものであるというのであるが、日常の営業活動に用いる現金をもっぱら個人資金でまかない、会社と個人の貸借関係を明らかにしないまま、個々の具体的立替え毎に架空の支払手形を計上するなどし、これを仮名預金口座に振込んで返済していたなどとの主張は、主張自体あまりにも不自然であり、現金約五〇〇万円を黒かばんに入れて持っていた理由について、査察官の質問てん末書では、「得意先の銀行員から預金を頼まれると断れないので、そのために持っていた」と述べていたこととも一貫性がなく、「社長が客に代って立替え入金したようなことは記憶がない」「仕入れについて、社長が立替え支払いをしたような記憶はない」との原審における証人若林千秋の証言に照しても到底信用できない。原判決挙示の関係各証拠に照し、黒かばんの現金を被告会社の帰属とした原判決の認定は正当である。

以上、事実誤認の主張に関する所論はいずれも採用できず、論旨はいずれも理由がない。

第二量刑不当の主張について(控訴趣意書第三)

所論は、原判決の量刑は不当であるというのみであるところ、職権により記録を調査しても、三年間で合計一二一四万八二〇〇円の法人税を免れた本件の事案について、審理期間が長期に及んだことなど諸般の事情を考慮して被告会社を罰金三〇〇万円、被告人を罰金二〇〇万円に処した原判決の量刑が重すぎて不当であるとは到底いえない。

よって刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 内匠和彦 裁判官 西田元彦 裁判官 鈴木正義)

控訴趣意書

法人税法違反 被告人 弥栄洲オート株式会社

外一名

右被告事件の控訴の趣意は、左記のとおりである。

平成五年八月四日

右主任弁護人 佐賀千惠美

右弁護人

大阪高等裁判所

第四刑事部 御中

第一、原判決は事実誤認であり、被告人らは無罪である。

一、原審は一般論として、次のように述べている(原判決一一丁)。

「B/S立証は、所得金額そのものの直接的な立証ではないという意味において、間接事実による所得金額の立証である。(中略)したがって、このような推計の方法が合理性を有するためには、それによって得られる数値が実額を超えていないとの保証が必要であり、当該期中の純資産増加額がこれ以下ではないということが、合理的な疑いを差し挟まない程度に立証され、更には、その中に非課税源泉からの所得が混入していないことも、同様な程度に立証されなければならない。」

確かに右判示は、総論としては是認できる。しかし、原判決の結果は、各論として右の立論に添っておらず、「数値が実額を超えていないとの保証」もないし、「合理的な疑いを差し挟」まれる結果となっている。

二、原審の認定所得額の高額性(自社の他年度との比較上)

1.原審が「実際所得金額」と認定した各年度の額は、

(一) 昭和五三年度から昭和五七年度までの、被告法人の申告所得額と単純に比べても、多額である。その上、減価償却費が、昭和五三年度から五七年度までの方が少ないのだから、右年度の方がその分、利息が多くなって当然なのに逆の結果であり、なおさら不合理である。

(二) しかも起訴年度(昭和五〇年度から昭和五二年度)は、戦後最大の不況である石油ショックの時期であり、とりわけガソリンを使う自動車業界は深刻な影響を受けていた。原審の認定は、この点を全く無視した金額となっている。そればかりか、右に述べたように、かえって、景気が回復した昭和五三年度から昭和五七年度より多額という、常識的にみてありえない結果となっている。

2.原審の認定が、昭和五四年度から昭和五七年度までの被告法人の申告所得額と、単純に比べても多額である点について。

(一)原審の認定した所得額

五〇年度 二一二五万六五〇三円

五一年度 一七四〇万五三九二円

五二年度 一六二一万九五二六円

(五〇年度から五二年度の平均 一八二九万三八〇七円)

(二)被告法人のその後の申告所得額(原判決一四丁裏)

五三年度 二二八三万八四六九円

五四年度 九三一万九七五二円

五五年度 一五五一万二四七〇円

五六年度 一六七九万六四六五円

五七年度 一一二九万五六四一円

(五三年度から五七年度までの平均 一五一五万二五五九円)

右のとおり、(一)原審の認定した三年間の平均は、一八二九万三八〇七円であるのに対し、(二)その後の五年間の平均は、一五一五万二五五九円である。

通常は貨幣価値の実質的低下により、特別の事情がなければ、その後の五年間の平均の方が高いのが常識である。これが逆転しているのは、原審の認定が誤っているからにほかならない。

3.さらにいえば、昭和五三年度(二二八三万八四六九円)は、左の特殊事情により計算上実際より多額になっているので、本来、その後の平均所得から同年度は除いて計算するのが妥当である。

即ち、原審で、税理士である証人木村祐一が既に証言しているとおり(原審の第六三回公判における、同証人の供述調書の第八丁と第九丁)、昭和五三年度は、

(一) 昭和五三年三月に、本件の査察が入ったので、以前は完全には取引の発生主義で処理していなかったものがあったが、同年九月期の会計処理は、これを是正し、完全な発生主義としたので、計算上この年度は前述に比べて多くなった。

(二) また、本件の査察が入り、青色申告を取り消された。青色申告では約三〇〇万円の賞与引当金を計上し、それだけ利益が減った計算にできる。しかし、査察が入った混乱等のため、昭和五三年から昭和五五年度までの三年間は、これを計上しなかったので、その約三〇〇万円分、以前に比して利益が相対的に増えている。

(三)加えて、この点は同証人の証言には出ていないが、昭和五三年度は実質的車輛売上も増えた。これは昭和五〇年度から五二年度までは、石油ショックによる不況で、車輛の新規買い換えを控えていた反動が、景気の回復と共に出たものである。

4.右のように、昭和五三年度は特殊なので、同年度をはずして比較すると、原審認定の不自然さは、さらに明らかになる。

(一)原審の認定した所得額

五〇年度 二一二五万六五〇三円

五一年度 一七四〇万五三九二円

五二年度 一六二一万九五二六円

(五〇年度から五二年度の平均 一八二九万三八〇七円)

(二)昭和五三年度を抜いた申告所得額

五四年度 九三一万九七五二円

五五年度 一五五一万二四七〇円

五六年度 一六七九万六四六五円

五七年度 一一二九万五六四一円

(五四年度から五七年度までの平均 一三二三万一〇八二円)

右の(一)原告認定額の平均が一八二九万三八〇七円であるのに対し、(二)の平均は一三二三万一〇八二円と、単純に比較しても、一年あたり五〇〇万円以上も、(一)の方が多額となる。

5.しかも、別表一のとおりの減価償却費も考慮すると、さらに不自然さは拡大する。

(1) 原審の認定年度に計上した減価償却費

五〇年度 二一八万一六五〇円

五一年度 二六二万〇四七四円

五二年度 四四七万一四八四円

(右三年度平均 三四二万四五三六円)

(2) 昭和五四年度から五七年度までの減価償却費

五四年度 三〇二万七八八一円

五五年度 二三〇万八三七九円

五六年度 一九〇万三五一四円

五七年度 一九一万一九〇〇円

(右四年度平均 二二八万七九一八円)

右の(一)の減価償却費の平均が三四二万四五三六円であるのに対し、(二)の平均は二二八万七九一八円と、一年あたり一一三万円以上も(一)の方が高額である。つまり、(一)の方が一一三万円以上も多くの減価償却費を差し引いてもなお、右4で述べたとおり、一年あたり五〇〇万円以上の高所得となっている。これは、減価償却費も考慮すると、実質的に(一)の原審の認定の方が、一年あたり六一三万円以上も(二)の平均所得より高額になる。これは不自然である。

三1.しかも、(一)の原審認定の時期は、石油ショックで日本経済が戦後最大の不況となり、ガソリンを使う自動車業界も大打撃を受けた時期である。この時期の平均所得が、景気が回復した右(二)の時期の平均所得より、五〇〇万円も六〇〇万円も多いというのは、何としても不合理である。

これは(一)の原審の認定額が誤っているからにほかならない。

2.さらに、別表二のとおり、その後の被告会社の申告所得は左のように推移している。

六三年度 一四一九万一一二七円

平成元年度 二〇四七万五五四〇円

平成二年度 六六五万三六二〇円

平成三年度 一六五万六八〇八円

平成四年度 一五六万一〇六三円

右のように、バブル期の平成元年度は二〇〇〇万円以上の法人所得だが、バブルが崩壊して不況になった平成二年度以降は、激しく所得が低下している。これは、当然のことながら、被告会社の営業が景気の影響を受けていることを証明するものである。

平成二年度以降の不況は、石油ショックに次ぐ不況といわれる。今回の不況でも右のような所得低下を招いているのだから、石油ショックの時期も低下していたはずである。

それを原審認定のように、後の年度より、一年あたり五〇〇万円も六〇〇万円も多かったはずはあり得ない。

四1.また、原判決(一八丁)は、同業者比準法による原審での弁護人の試算は、弁護人が前提とする方法ですると、その結果になるとする。

しかし、原判決は、

(一) 右試算の平均利益額は、あくまでも事業内容、規模等の個別的な事情を捨象した同業種の統計的な数値であるうえ、

(二) 被告人が、被告会社の利益は販売と整備で五分五分の割合だと言っているのに、弁護人の試算では販売担当者が一人であるとの前提をとったため、自動車販売における年間利益がかなり過少になっているとする。

(三) また、利益の源泉を、専ら営業利益のみで比較する誤りを犯しているという。

2.右(二)の、販売と整備の割合への疑義への反論。

仮に従業員の半数が高利益の販売に従事し、整備は半数人と仮定して試算しても、なお申告所得は十分な額となると反論する(具体的な数値の根拠は、原審での弁論二七頁~三三頁)。

(1) 五〇年度

第七五回公判の被告人の供述および、従業員の給与台帳により、この年度の従業員は時期により移動があり、一一人ないし一五人であった。よって、平均すると一三人で、その半数の六・五人が高利益の自動車販売に従事し、あとの六・五人が整備に従事したと仮定して試算する。

(34万0920円+38万7702円)÷2×6.5人

+29万9796円×6.5人=431万6695円

右のとおり、同業者の標準は四三一万六六九五円である。これに対し、被告会社は一一九四万六四八六円の税務申告をしていた。

標準額の約二・八倍の申告である。

なお、原判決の認定額は二一二五万六五〇三円であるので、右標準額の約四・九倍になり、過大である。

(2) 五一年度

この年も一年のうちで移動があり、従業員は一二人ないし一四人であった。よって、平均すると一三人で、その半数の六・五人が高利益の自動車販売に従事し、あとの六・五人が整備に従事したと仮定して試算する。

(34万7072円+37万8080円)÷2×6.5人

+26万9780円×6.5人=411万0314円

右のとおり、同業者の標準は四一一万〇三一四円である。これに対し、被告会社は、七一〇万一七七九円の利益を税務申告をしていた。

標準額の約一・七倍の申告である。

なお、原判決の認定額は、一七四〇万五三九二円であるので、右標準額の約四・二倍にあたり、過大である。

(3) 五二年度

この年も一年のうちで移動があり、従業員は一二人ないし一六人であった。よって、平均すると一四人で、その半数の七人が高利益の自動車販売に従事し、あとの七人が整備に従事したと仮定して試算する。

(32万6534円+34万9995円)÷2×7人

+21万4812円×7人=387万1535円

右のとおり、同業者の標準は三八七万一五三五円である。これに対し、被告会社は四四八万一〇八三円の利益を申告していた。

標準額の約一・二倍の申告である。

なお、原判決の認定額は、一六二一万九五二六円であるので、右標準額の約四・二倍にあたり、過大である。

3.前記(三)の、利益の源泉を専ら営業利益のみで比較しているとの、原判決の批判への反論。

(イ) 自動車販売および整備等を業とする株式会社の、利益の主たるものは、もちろん営業利益である。つまり、販売や整備という本業で稼ぐのが本来の姿である。もちろん、一般的にいうと、家賃収入や株式の売買などの営業外利益も、会社によっては多少はあるだろうが、平均的または標準的な会社にとって、営業外利益は、営業利益の何割かにすぎない。営業外利益を上回るなどという会社は、標準的ではなかろう。また、営業外利益をプラスするなら、当然、借入金利息や貸倒損失、事故や台風などによる営業外損失もマイナスしなければならない。通常、借入金利息の支払のため、平均的な会社では、営業外利益より営業外損失の方が多い。

この観点から、右2の販売と整備を半数づつとして営業利益を再試算した標準額を見る。前記のとおり、被告会社の税務申告額は、営業利益の標準額に対し、

昭和五〇年度 約二・八倍

昭和五一年度 約一・七倍

昭和五二年度 約一・二倍

であつた。

つまり、標準的な会社の営業利益に、営業外利益から営業外損失を引いた額をプラスしたとしても、もしかしたら一・二倍(五二年度)にはなるかもしれないが、二・八倍とか一・七倍(五〇、五一年度)にはならないのが通常である。

したがって、同業者比率で本件を見る限り、原判決の前記1の(二)と(三)の観点での修正を加えたとしても、なお、被告会社の申告利益は十分である。同業者比率によれば、本件は無罪というほかない。

(ロ) 他方、前記のとおり、原判決の認定額は、再試算した営業利益の標準額に対し、

昭和五〇年度 約四・九倍

昭和五一年度 約四・二倍

昭和五二年度 約四・二倍

となる。これは、営業外損益をプラスしたとしても、標準的、平均的にみると、ありうる金額ではない。

4.次に、前記1.の(一)で、原判決が、右試算の平均利益額はあくまでも事業内容、規模等の個人的な事情を捨象した同業種の統計的な数値であるとしている点について。

(イ) 推計課税における同業者比率の重要性。

もし、本件がP/L立証され、課税の原則に従って、一つ一つの取引の利益が集積されたとしたら、それは個別に利益を計算したのだから、たとえ同業者利益より多くても、同業者利益は「同業種の統計的な数値」だとして放置することもできるであろう。

しかし、原判決(一一丁)も認めているとおり、本件は推計課税であり、「このような推計の方法が合理性を有するためには、それによって得られる数値が実額を超えていないとの保証が必要」である。刑事判決謙抑性に鑑れば、実額より少ない認定はよいが、多い認定ははすべきではない。同業者利益より多い申告をしているのに、推計課税によって刑事罰を課すというのは納得できない。

少なくとも、同業者利益を超える分の認定には、よほど確実な証拠がなければならないであろう。

(ロ) 本人比率による検討

では、原判決の同業者利益を超える分の認定は、合理的疑いをさしはさまれないものであろうか。

原判決(一八丁裏)は、被告会社の税務申告額は「それ以後の期の申告額と比べて著しく少なく、どうして十分な額の税務申告がなされたといえるのか理解し難いものがある。」という。

これは、被告会社は平均より高利益をあげる会社なので、同業者比率でなく、本人比率によるのがふさわしいという趣旨であろう。では、原判決は本人比率では納得できるかというと、否である。

前記のとおり

(1) 五〇年度から五二年度までの、被告会社の申告利益の平均額

七八四万三一一六円((2)の〇・五九倍)

(2) 五四年度から五七年度までの、被告会社の申告利益の平均額

一三二三万一〇八二円

(3) 原判決の、五〇年度から五二年度までの利益認定額の平均額

一八二九万三八〇七円((2)の一・三八倍)

(4) 不況の影響を受けた平成二年度から平成四年度までの、被告会社の申告利益の平均額

三二九万〇四九七円

本人比率の基準を一応、右(2)にとる。これは起訴年度より後なので、貨幣価値の落下から、起訴年度より多額になって当然である。しかも、起訴年度は石油ショックの時期だから、利益が低くて当然である。他より高利益なのはかえっておかしい。

(1)は(2)の〇・五九倍である。貨幣価値や石油ショックによる落ち込み、それに(1)の三年間は減価償却費が(2)より平均一一三万六六一八円も高いことを考えると、むしろ自然である。原判決(一八丁裏)は、「それ以後の期の申告額と対比して著しく少ない」というが、約六割は、数字上だけからも「著しく」少なくはなく、右各要素も考慮すると、相当額である。特に今回の不況のため右(4)のとおり、平成二年度から平成四年度までの、被告法人の申告利益の平均額は、三二九万〇四九七円である。右(1)の本件の期間の平均額七八四万三一一六円の方が、(4)の二・三八倍である。

これに対し、(3)は(2)の約一・三八倍で、かえって多い。右各要素を考えると、本人比率では原判決は是認できない。(2)より一年で五〇〇万円も高額なのである。

第二、原判決の不合理な結論の原因

このように、原判決の結論は(一)原判決の指摘に基づいて修正した同業者比率でも、(二)被告会社のその後の申告利益と比べた本人比率でも、納得できない結果となっている。その原因は何かという点につき論じる。

一、不当な結果が出る原因の第一は、B/S立証は期首と期末の財産の全額が把握されなければ不可能なのに、無理にB/S立証をやっていることである。

1.原判決(二六丁裏)は、「以上検討してきたところだけでも、把握漏れの預貯金が存在することは否定できず、これらが被告会社、被告人のいずれに帰属するかの点はともかくとして、右は起訴各期における預貯金等の把握が十分になされていない疑いを払拭できない事情というべきであり、ひいては、預貯金等の帰属についても、他に被告人帰属の預貯金の存在した可能性を否定できないことになる。」としている。

つまり、原判決は被告会社または被告人の預貯金の全てが把握されているとはいい切れないことを認めており、この点は、至当である。

2.しかも、原判決は現に把握された預貯金のうち、一部のみを被告会社に属すると認定している。

原判決(三九丁裏)は、「本件においては、検察官の右帰属に関する主張をそのまま肯認することができず、他に合理的な方法も存しないので、結局、各期の預貯金等のうち、被告会社の不正な経理処理によって簿外となった利益から入金されたことの明らかな預貯金及び右利益によって購入されたことの明らかな債券については、被告会社に帰属するものとし、それ以外のものについては、一応右簿外資金が流入している疑いのあるものをも含め、すべて会社資産から除外するのが相当である。」としている。

弁護人は、原判決(四〇、四一丁)が、鈴木一男名義、辻昭名義および松本芝光名義の各仮名預金が、「被告会社の簿外資金を入金するために設定され、売上の一部除外、仕入の過少計上等の方法で得られた被告会社の簿外資金が入金されていたもの」と認定している点は争う。右仮名預金は、社長である万永安男が被告会社のためにしていた立替金を、返済してもらったものである。

しかし、仮に百歩譲って、右仮名預金が社長個人ではなく被告会社に帰属するとしても、これはあくまで期首、期末の被告会社の預貯金の一部にすぎない。けだし、右1のとおり原判決は「把握漏れの預貯金が存在することは否定できない」としている。さらに、把握されたものの中でも、右仮名預金等のみを「被告会社に帰属するものとし、それ以外のものについては、一応右簿外資金が流入している疑いのあるものをも含め、すべての会社資産から除外」しているからである。

これは、いわば慎重な一部認定なのであるから(その認定の当否は争うが)、その預貯金を即ち抜いた所得とするのなら、謙抑的な認定として是認できる。しかし、そうするなら、これは各取引のごまかし所得を集積するやり方であり、P/L立証である。

ところが、原判決は、修正貸借対照表をつくり、あくまでもB/Sを立証している。B/S立証ではその期の所得は、各期首と期末の「差額」として出るのである。期首と期末の金額が実際の一部だからといって、「差額」が実際の差額より少なく出るとは限らない。実額の何パーセントを一部額としたかによって、むしろ実際の「差額」より増えることがある。

たとえばの金額として、期首と期末の被告法人の財産が左のとおりだったとする。

〈省略〉

つまり実際の額は、期首が六〇〇万円、期末が一〇〇〇万円だったとする。しかし、裁判所は把握できない財産や、把握していても被告法人に帰属すると認定できない財産があるので、固い謙抑的認定として、期首の財産を三〇〇万円、期末の財産を八〇〇万円と認定したとする。

この三〇〇万円と八〇〇万円そのものが、ごまかし額になるなら、なるほど一部認定であろう。しかし、問題は期首と期末の差なのである。実際の差額は、期末の一〇〇〇万円から期首の六〇〇万円を引いた四〇〇万円である。ところが、一部認定された期末の八〇〇万円から期首の三〇〇万円を引くと、五〇〇万円になる。実際の四〇〇万円よりかえって多額の五〇〇万円になってしまうのである。

原判決は慎重な一部認定をしたように見えながら、実はP/L立証とB/S立証を木に竹を継ぐように行って失敗している。B/S立証をやる以上は各期首と期末の全体額の把握が不可欠である。

原判決のやり方は、理論的、総論的におかしい。

二、原判決が不当な結果となる原因の第二は、原判決の修正貸借対照表がおかしい点である。(各論的な問題)

1.預金債権について

(一) 原判決(四〇丁)は、預金等のうち、証拠上明らかに被告会社に帰属するものとして、次の三つをあげる。

鈴木一男 名義

辻昭 名義

松本芝光 名義

そして、原判決は「以上の普通預金は証拠(浦嶋修、岸本進一作成の各確認書、収税官吏作成の査察官調査書(検第二九、三〇、三一号)、若林・第一七、二〇回、被・質てん(検第九五、一〇二、一〇六、一〇八号))によって認められる右口座の開設の経緯、入金の状況等に昭らすと、いずれも被告人らにおいて被告会社の簿外資金を入金するために設定され、売上の一部除外、仕入の過少計上等の方法で得られた被告会社の簿外資金が入金されていたものと認められるので、いずれも被告会社に帰属するものというべきである。」(四〇丁裏)としている。

(二) しかし、右認定は大雑把で、右認定をするに足る証拠は不十分である。つまり、右三口座に振り込まれている何口もの金は、検第三一号証(査察官調査書)にも書かれているとおり、全て、どの客へのどの車輛売買の関係の金かということが判明している。(参考までに同号証の一部分を別紙一として、本控訴趣意書に添附する。)

したがって、右三口座に入っている金の全てが被告会社のごまかし所得であるのか否かは、右各取引を検討すれば判明する。しかし、原判決はこの個別の検討をせず、強引に被告会社に帰属としており、とうてい首肯できない。

右各口座への振込みは、社長個人がそれぞれの相手に、会社に替わって立替払いしたものを、会社が社長に返還したものである。だからこそ、各通帳の各振込金額の欄に、どの取引の関係での振込みかということをメモしていたわけである。

2.架空支払手形について

(一) 原判決は、左の四つの支払先への手形が架空だとしている(六三丁表)。

坂口惣一

石田瓦店

幸逸産業

西本実男

右四つの支払先への手形が架空であることは弁護人も争わない。しかし、原判決も「証拠によれば、右期末残高に相当する金額は、いずれも被告会社のために修繕等がなされ、その経費として被告会社が負担している」ものであることは認めている(六三丁)。つまり、修繕費の支払債務は架空でなく、実在した。しかし、その形式を架空手形としたため、否認されている。

(二) では、右修繕費の支払債務はどうしたのであろうか。これは、社長個人が立替え払いした。よって、会社としては、債権者が右四人から社長へと変更になっただけで、まだ会社の債務としては存続していたわけである。つまり、会社が社長へ、同額の立替金支払債務を負ったままになっている。だから、この立替金の支払いのため、形式的に架空手形を作成して処理しようとした。

よって、五〇年九月期の架空手形を否認するなら、否認し放しは不当である。同期に別に立替金支払債務をたてるか、場合によっては四九年九月期にも立替金支払債務という、債務をたてるべきである。

原判決は財産増減法(B/S立証)だから、明らかになった期首期末の債務も、必ず考慮すべきである。しかし、原判決はこれをしていない。

(三) 右修繕費について、原判決は「この修繕費が実際上どのようにして決済されたかは不明であるものの、それが支払われないまま次期に繰り越されることは通常考え難く、また、そのことを窺わせるような証票も存しないのであるから、右の修繕費は昭和四九年期末までに実際に支払われ、その決済が完了しているものと推認される。したがって、右修繕費の決済が昭和五〇年九月期になされたものとは認められないので、弁護人が主張するように『これと同じ金額を他の負債科目で修正』しなければならないものではない。」(六三丁裏)としている。

しかし、右判決文のように、いつ決済されたかが証拠上不明なのに、「昭和四九年末までに実際に支払われ、その決済が完了しているものと推認」するのは、全く不当である。証拠に基づかない認定であることを判決文が自認している。刑事裁判は、証拠上不明なら、被告人に有利に認定すべきである。被告人に不利な推認は許されない。

国税局は膨大な証拠書類を被告会社から差し押さえていっているのであって、これによっても、修繕費の支払が認定できないなら、まだ会社としては支払っていないと推認すべきである。経費の支出という会社に有利な事項だから、会社が修繕費を支払ったとしたら、必ず四人から領収証をとり、保管していると考えるのが自然である。

3.黒かばん内の現金の帰属

車輛売買をしている被告会社には、流動資産たる現金が不可欠である。しかし、被告会社に借入金はない。では、現金はどうしているのかというと、社長が個人の金を立て替えて使っていたのである。黒かばん内の現金は、社長のものである。

第三、仮に被告人らが有罪でも、諸般の事情より、原告の量刑は不当である。

なお、次項からは、本件に対する弁護士の木村祐一先生の意見書であるが、当弁護士も全く同一の見解なので本控訴趣意書と一体のもの(同書の一部分)として、添附する。

〈省略〉

資料一

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例